世紀のジャズ音源〈発掘男〉は、ついにその作業を完結しえたか?

 一昨年秋に始まったブルーノート・レーベル創立75周年記念「ブルーノート・ザ・マスターワークス」シリーズも、この3月の〈第5期・珠玉の4000番台〉50枚ですべてが出そろった。国内初CD化58作を含む全230枚が最新リマスター仕様で登場、『ブルー・トレイン』『サムシン・エルス』『モーニン』『アウト・トゥ・ランチ』『スピーク・ノー・イーヴル』といった名盤にまで、まさかの発掘音源が収録されていた。この蔵出しに尽力し、監修&解説も務めたのがブルーノートの〈発掘男〉=マイケル・カスクーナだ。ちょうど京都でフランシス・ウルフが撮影したブルーノート関連写真の展示会があり、パネリストの一人として16年ぶりに来日をしていた。

 「フランシスはブルーノートの副社長で、制作は社長のアルフレッド・ライオンが掌握したから実務方面を任されていた。ただ時間があるとスタジオへ赴き、録音中の様子をカメラに収めていったんだ。ドイツでは高校を卒業してから13年間、プロのカメラマンだったからね。彼の写真を用いたカヴァーは遠くからでもブルーノートと判るほど、ライティングもシャッター・チャンスも特徴的で、しかもドキュメンタリー風だった。生涯に2万点の写真を残したが、眺めているとセッションの雰囲気が手にとるように分かってきて、レコードにおける音要素と同様、彼の写真は1枚1枚がジャズの録音史を詳らかにしてくれるんだ」

 現在、それらはカスクーナが社長をつとめるモザイク・レコードのイメージ管理部に収まっているが、この会社はセロニアス・モンクの未発表演奏を蔵出しするため1982年に立ち上げられたものだ。ただし〈発掘男〉誕生のきっかけは遡ること10年、アトランティックでプロデューサーを努めていた時のこと。録音テープが高く積まれる倉庫に身をうずめていた彼は、そこでいくつもの未発表音源に遭遇。それらを世に出すべく行動を起こしたのと同時、他レーベルでも同様にお宝が埋もれているに違いないと思い至ったのである。

 以前よりブルーノートのファンだったカスクーナは、コレクターをはじめ60年代の同レーベルで録音をしたリーダーやサイドメンと会って話し、多くの未発音源の存在を確認する。そこで出来た資料を抱え、レーベルのドアを叩いたのが73年。初めは険しい船出だったが2年が過ぎた頃、コロムビアから配属されてきた責任者チャーリー・ロウリーに再度当たってみたところ「よし、これはお前の仕事だ!」。このひと言が、その奇異な人生を引き寄せる。存在が認められながら未発表のままでいる演奏、すでに存在を忘れられた音源まで苦労の末に行き当たり、すべて許諾をクリアし光を当てていった。ことにEMIアメリカ傘下に移ってからの全33タイトルのLTシリーズや、アルフレッド・ライオン時代は品番まで決まっていながら陽の目を見なかった作品群を世に出した功績などは、世界中から絶賛の声を浴びることになる。

 「そのEMIがブルーノートへの興味を失ったのを機に次は自分で会社を立ち上げ、ほどなくモンクの30分弱のブルーノート未発表音源を発見するんだ。これをコンプリート・ボックスにして通信販売すると評判になり、以後それを僕のビジネス・スタイルにしたってわけさ。この会社名かい? シダー・ウォルトンの《モザイク》という曲が好きでそれをこっそり拝借してきたんだ」

【参考動画】アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの61年作『Mosaic』収録曲“Mosaic”

 

 カスクーナは発掘してきた演奏を何でもすべてアルバムに盛り込むようなことはしない。テイクを選ぶ時は3つの基準がある。第一は〈ノリが良く作曲どおりに演奏が収まっていること〉。次に〈ソロが偉大な内容であること〉。そして〈マスター・テイクとは異なる解釈がされていること〉。そんな選曲と同様に重要なのは、ライセンス契約を交わし、そのパッケージをブランディングするところにある。

 「1曲ごとにデータ配信をすることも可能だ。でも僕はあれが大嫌いでね(笑)。選曲から、曲順の決定から、パッケージに仕上げるまでには多くの作業が必要になってくる。だけどそこで出来た盤をそっと取り上げ、盤面やライナーを眺め、掲載された写真を見つめていると、いつでも12歳のあの頃に戻れるじゃないか。ブルーノートで僕がやる作業はほぼ99%終わったと思っているよ。それはフランシスが残した写真と同じように、ジャズの録音史の詳細を明らかにしていく作業だったのさ」

 現在はビーハイヴ・レーベルでお蔵になっているものや、第二次世界大戦前にジャズの巨人たちが残した古い音源を調査中とか。ジャズ録音史は、またそこで新たに塗り替えられるはずである。